本当はハッカーになりたかったfugumamaの雑記帳

東京在住の二児の母。サラリーウーマン。美味しいものが大好き。

伽藍とバザール

今日も寒いですね。なんでも雪がちらついたとか。

fugumamaです。

 

今日は、図書館でリクエストしていた「入門者のLinux」という本を読んでいます。

会社ではWindowsしか触った経験がないので、自身のスキルアップと、
個人的な興味のために、借りてきました。

 

その第1章の終わりについていたチャレンジ問題(?)に、
伽藍とバザール」に目を通してみてください、とあったので
読んでみました。日本語訳は、こちらにあります。

The Cathedral and the Bazaar: Japanese

 

私も半分くらいしか理解できていないのですが、
システム開発や営業等をしていた時に、常々感じていた「だから嫌なんだよね」的な
違和感のようなものをスッキリと解説してくれる感じがしました。

具体的には、

・「伽藍(注:重厚長大エンタープライズシステム開発)」よりも
「バザール(注:短納期でプログラムを公開し、多くの人がバグを指摘し合う)」が
優位であること。

重厚長大システム開発のマネジメントスタイルは、スキルのない技術者を
無理やり統率して(?)作らせるための手法である

・多くのユーザーが関わることにより、ソフトウェアは良いものになる
(いろんな観点でテストができるから。ユーザーが一人増えれば、使い方が変わる)

 

特に2点目ですね。

私は「重厚長大」なシステムの高稼働率を維持するためにはコストを厭わない、
という会社で仕事をしていますので、まぁ誰にでも引き継ぎができるように
とにかくドキュメントドキュメント・・・な開発スタイルです。

それを維持するためにはもちろん、余計なドキュメント作成や引き継ぎの工数
かかってくるわけであって(だから「人月の神話」でも人の投入は無意味と言ってる)
こんなの、ちゃんとソースコードが読めれば、データ構造がわかれば、
あえてドキュメント作るほどのこともないでしょう、ということでも
なんでも資料を作らなきゃいけなくなってくる。

 

そして3点目。

システムなんて、バグがあるのは当たり前であって、
多くのユーザーが触れば触るほど、バグが直されて、良いソフトになるのは自明です。

それを許してくれる風土が、ないんですね。
特に日本のユーザーはそうだと思います。
システムは勝手に動いてくれていて、バグが発生しない前提でユーザーは動かしていますからね。
そういう意識を打破するためにも、多くの人がプログラミングを一度は体験すべきだと私は思います。
だから、今プログラミングが小学校で必須化されることは非常に良いことだと思っています。


9割稼働するシステムなんて、どれだけの人手がかかってテストしているんだか・・・
ってことがわかるだけでも、システムにお金がかかるのは当たり前なんです。

商用プロジェクトの場合は。

 

私が一番この文章で印象に残ったこと、それは、(以下引用)

従来型のソフト開発マネジメントのメリットに対する疑問だ。もし GNU Emacs が一貫したアーキテクチャのビジョンを 15 年も維持できたり、Linux みたいな OS が同じように 8 年も、ハードやプラットホームの技術が変わり続ける中で維持できたのなら――そしてもし、ほかにもきちんとしたアーキテクチャを持ったオープンソースのプ ロジェクトが、5 年以上も続いている例があるなら――だったらわれわれとしては、そもそも従来型のマネジメント方式の開発というのは、あれだけすさまじいオーバーヘッドを かけて、いったい何を買っているんだろう

ここです。(「マネジメントとマジノ線について」という箇所です)

 

普通の企業がやっているのはまぁ「従来型のマネジメント方式」な訳ですが、
こう続きます。

それはまちがいなく、締め切りを信頼できる形で守るということではないし、予算内にきちんとおさめるということでもないし、仕様書をすべて反映させると いうことでもない。こういう目標の一つでも達成できたら、それは珍しくきちんと「マネジメント」されたプロジェクトだと言っていい。また、プロジェクトの 寿命の中で、技術的・経済的な環境変化にもすばやく適応できているとは思えない。

なんとも痛いご指摘です。

伝統的な開発様式で買えるもんだと多くの人が考えているものとしては、プロジェクトがおかしくなったときに、法的に縛って責任をおわせ、可能性としては 損害賠償金も得る相手ができる、ということだ。でもこんなのは幻想でしかない。ほとんどのソフトライセンスは、このソフトが商品として売り物になることす ら保証しないような免責条項が書かれているし、まして性能のことなんかまるっきり保証しない――そしてソフトが期待性能に達しない場合に、損害賠償を勝ち 取れたケースがあるか?まったくないといっていいくらい、ほとんどない。 

 ああ・・・

 

この筆者は、最終的にオープンソース万歳、
技術力のあるハッカー達は、ボランティアで「良いもの」を作るために
引き続き努力し続けるだろう、と言った形で文章を結んでいます(と思う)。

 

1997年のエッセイですから、もう20年も前の話なのですが、
今のIT技術者不足、それも優秀な技術者不足というところと合わせると
なんだか、あんまり変わっていないなぁ、と思ってしまうのは私だけでしょうか。